アンダンテ 3


――僕が何をしても黙って従ってください。
そう言った骸は、実際にヒバリさんの家に着いてからその言葉通りオレに対していつもと違う態度をとった。
ヒバリさんの実家である和菓子屋に入り口から入ったオレ達は店内に居た親子代々この店で働いている草壁さんに案内されてそのまま店を通り抜けて母屋へと移動した。小さい頃に幾度となく訪れ遊び場にしていた畳の敷かれただだっ広い客間で骸と二人並んでヒバリさんを待つ。
「好きなお菓子をお選びください」という草壁さんの言葉に甘えて選んだお菓子は「では後ほどお茶と一緒にお持ちいたします」と言われたので手元にはまだない。なんとなく手持ち無沙汰できょろきょろと辺りを見渡していたら、骸が座布団を動かし若干距離を詰めてきた。

「近すぎない?」
「そんな事はありませんよ」

にっこりと、見慣れたオレでもどきりとする柔らかい表情で骸が至近距離で微笑むので、思わず顔が赤くなってしまう。骸相手にオレは何やってるんだよ!と思った瞬間、空間を切り裂くような凛とした声が響いた。

「お待たせ」

車で迎えに来たときと打って変わって和装に着替えたヒバリさんが背筋をぴしっと伸ばし、室内に入ってくる。
ヒバリさん一人が居るだけで空気ががらりと色を変える。空間全体の空気が研ぎ澄まされ澄んでクリアな物になった様に錯覚する。静謐。そんな言葉がヒバリさんには良く似合う。
ヒバリさんが入ってきた事にもお構いなしで骸がオレの手に自分の手を重ねてきたので驚いて骸の顔を覗き込むとさっきと同じ様な蕩けるような優しい笑顔を返され、またもどきりとする。こいつの顔は昔から心臓に悪い。

「何やってるの?」

先ほどとは別の意味で部屋の空気が変わった。
一触即発。
不思議な事にそんな言葉が似合う不穏な空気がヒバリさんと骸の間に漂った。
にやりと不敵な笑みを浮かべた骸がオレの肩を抱き寄せる。

「別に、なんでもありませんよ?」
「なんでも、ない?」

ぴしりと空気が凍った。突然の不穏な空気にオレは骸に肩を抱かれたまま固まった。

「失礼します」

均衡状態を崩す天の助けのように、草壁さんが礼儀正しい姿で部屋へ入ってきて、オレと骸を見て驚いたように目を見開いた。しかしそれも一瞬のことで「失礼しました」と呟きながら机の上に繊細に細工された綺麗な宝石のような練り菓子を並べていき、完璧な緑茶を淹れる。

「どうぞ、ごゆっくりなさって下さい」

そう言うと入ってきた時と同じように物音一つ立てずに退室していった。
再び異様な静けさが空間を支配する。無音というのは本当にシーンと聞こえるはずの無い音が聞こえるんだな、と場違いにも考えるオレがいた。
そんな沈黙を破ったのは骸だった。

「あぁ雲雀くん。お店の話ですけど、やっぱりご紹介いただいた場所で検討しようかと思います」
「……そう」
「それで、ですね。店員をどうしようかと悩んだんですが、春頃だと綱吉くんが大学も卒業が近くて暇になるでしょうし、将来的にそのまま正社員として働いていただいても問題ないと思いましたので彼にお願いしようかと思いまして」
「そうなの、綱吉?」

寝耳に水な骸の言葉に驚いて顔を覗き込むと、ヒバリさんには分らないように片目をつぶって合図を送られる。これは話を合わせておけということだろうか?一瞬だけ考えたオレは、ほぼ反射的に頷いていた。

「その予定、です」

ついてしまった嘘が怖くてヒバリさんの目を見れないオレは縋るようにじっと骸を見つめるが、ヒバリさんの刺すような視線を体中で感じ、嫌な汗が背中を流れ落ちていく。
一瞬なのか、永遠なのか。
時が経つのがやたらとゆっくりと感じる。ごくり、と唾を飲み込む音がやけに響いた気がしてその事に更に怯える。
息が詰まる。
そんなオレの緊張を解すため、骸がぽんぽんと頭を撫でながら頷いた。少しだけ息をするのが楽になった気がして、深呼吸を繰り返した。

「雲雀くん的に何か問題ありましたか?」
「……特に、は」
「それならば良かったです」

綱吉くんに似合う可愛いエプロンを制服にしましょうね。
オレを引き寄せたまま、満面の笑みで骸が言う。その瞬間、間違いなく、確実に、ヒバリさんから殺気が発せられた。背中がぞわりとする。
そんな殺気を気にもせず、にっこりと骸が笑った。そしておもむろに立ち上がる。

「お手洗い、お借りしますね」

そう言い残すと殺気をまとったままのヒバリさんと縮こまったオレの二人を置いてそそくさと部屋から出て行ってしまった。
突き刺さる空気が痛い。
ヒバリさんと以前の様に接することが出来なくなったとは言え、こんな険悪な雰囲気になったことは無かった。ここまでオレは嫌われていたのかと年甲斐もなく泣きそうになった。
二人っきりの空間が辛すぎて、このまま骸の後を追って部屋を出てしまおうかと少し腰を浮かした。瞬間、

「ねえ、綱吉」

逃げだすことを赦さない。そんな響きを含ませた声で名前を呼ばれる。
―――怖い。
どんなに周囲の人がヒバリさんの事を怖いと言ってもオレにとっては優しい幼馴染みで一度も恐怖という感情を覚えた事は無かったのに今オレと向き合っているヒバリさんは知らない人のようで、怖かった。捕食者を前にした動物と同じ、本能の部分での恐怖なんだと思う。
ひくり。顔が引き攣るのをヒバリさんは見逃さなかった。

「僕が怖いの、綱吉?」

頂点捕食者の顔でヒバリさんが嗤う。今までこんな笑い方をされたことがない。少なくともオレに対しては向けられたことのない表情に、更に恐怖がつのる。

「ねえ答えてよ、綱吉」
「いまは、こわい、です」

緊張と恐怖で喉がカラカラに渇いて、張り付く喉から無理矢理声を絞り出した。自分から出た声が想像以上に細く、それが余計に怯えていることを如実に語ってしまった。

「へぇ……」

音もなく立ち上がったヒバリさんが一歩一歩近づいてくる。びくり、と肩が揺れると真っ直ぐにオレを見据えているヒバリさんの柳眉が上がった。

「ねえ、綱吉。六道の事は怖くないのに僕は怖いの?」
「い、いえ」
「六道とはどんな関係なの?」
「ど、どんなもなにもただの幼馴染みですけど!」

それまで声が出なかったのが嘘の様に、きっぱりと大きな声で言い切った。
自分でも驚くくらいはっきりと声が出て、ようやくそこでヒバリさんに誤解される事がそんなに嫌なんだと気付いた。
だけどそんなオレの気持ちなんてお構いなしにヒバリさんは不機嫌そうに顔を歪めた。その表情には見覚えがあった。昔から、面白くない事があった時にする、癇癪を起こした子供の表情。場違いにも馴染み深い表情に少しだけ怖さが軽減する。

「六道には触れさせるのに、僕は綱吉に触っちゃいけないのはどうして?」
「え?」
「綱吉はただの幼馴染みとあんなに接触するのかい?」
「え?」
「だとしたら僕も、綱吉の幼馴染みだ」

座り混んだまま動けないオレをヒバリさんが見下ろし、そっと膝を折った。視線が同じ高さになる。そして、

「………え?」

今、何された?

「ねえ、六道とはキスしたの?」

今、ヒバリさんはオレに何をした?
無意識のうちに一生懸命首を横に振る。

「ねえ、僕とキスするのは不快?」

(今、何を。)
壊れた人形のように首を降り続ける。

「え?!え?!」
「ねえ、綱吉。何か言ってよ?」

息が吹きかかるほどの至近距離でヒバリさんが言う。少し顔を動かせば……簡単に唇がくっつく距離で、言う。

「綱吉?嫌だった?」

黒曜石のような純度の高い黒が真っ直ぐにオレを見つめる。

「ヒバリさん、今、なにを、しましたか?」
「キスした」

キス。
(あぁ、やっぱり今のはキスだったんだ。)
納得して、キスってなんだっけと考えてそれがどういう行為かということに頭が追いついて、驚いた。

「な、なんでですか!?」
「綱吉が好きだから」
「あぁなるほど……はぁ!?」

もの凄いスピードで色々な事が起りすぎて元々あまりよくない頭が過負荷のかかる演算処理を放棄して、停止した。

「僕は綱吉が好きだから、キスした」

好きってなんだっけ?どういう意味だっけ?
一生懸命言葉の意味を考える。二十二年間生きてきた中で「好き」という言葉の意味は一つしか知らないと思い至る。

「僕の事は避ける癖に六道とは仲良くしている綱吉が許せない」

嫉妬、という言葉が頭に浮かんで消えた。

「綱吉は僕の事だけ見てればいいんだよ」

最初からそれが当然のことだと言わんばかりの、何も疑う余地が残されないほどの強い言葉でヒバリさんが言い切った。

「綱吉は僕のものであるべきなんだよ」

黒い瞳の奥にじりっと真っ赤に燃える何かが見えた気がした。
この人は昔からオレの王様だった。絶対の存在だった。それをぼんやりと思い出す。

「綱吉は僕と六道、どっちが好きなの?」
「オレは」

ヒバリさんの瞳の奥が不安げに揺れるのを見た。
(ああ、不安でどうしていいか分らなかったのはオレだけじゃなかったんだ)
すーッと気持ちが落ち着いた。頭の中がクリアな状態になる。
透明で澄んだ状態になってみれば答えは一つしか見えない。

「オレはヒバリさんが好きです。昔から。最初から、ずっと」

怖くて仕方がなかった目の前の人が急に全く怖くなくなる。
怖いと思った深い黒色の瞳が愛しく思える。
どのくらい振りか分らないくらい久しぶりに、オレはヒバリさんに向かって、笑った。
なんだ。こんなに簡単な事だったんだ。





「綱吉くんも雲雀くんも僕にもっと感謝すべきです」

あの日トイレに行くと言って出て行ったっきり部屋に戻ってくる事のなかった骸は、オレたちがこうなることを予測していたらしい。というか、こうなるように一芝居打ったらしい。本人曰く。

「もうね、君達は誰の目から見ても明らかに両思いなのにうじうじうじうじといつまでも遠回りして」
「……うるさいよ」
「仲良し三人組なのがよくないのかと思って留学して離れてみたら、それ以前より状況悪化しているとか。本当にバカなんじゃないかと思いましたよ」

端正な顔を性格が悪そうに歪めて骸が言う。その骸をヒバリさんは更に顔を歪ませ鬼気とした表情で見返した。

「まぁ、僕がここまでしても雲雀くんがまだ動かないようでしたら綱吉くんのことはいっそのこと掻っ攫おうと思ってましたけどね」
「咬み殺すよ」
「ふんっ。僕のおかげだと言う事を忘れないでいただきたいですね」

大の甘党の骸は、ヒバリさんが「お礼」と称して持って来た、恐らく店頭に並んでいる商品全種類と思われる量の和菓子を無駄口を叩きながらも綺麗に消化していく。
オレは自分の口の中まで甘くなった気がして「うわぁ」と思いながらお茶を三人分煎れる。ヒバリさんと骸の前に一つずつ置いて、手元に残った湯飲みの中身をぐいっと煽る。

「これでようやく肩の荷がおりましたよ」
「大きなお世話だよ」
「僕は綱吉くんには幸せになって貰いたかったんです。雲雀くんはどうでもいいですけど」

オレの置いたお茶をぐいっと骸が飲む。そして、今日最大級の爆弾発言をかました。

「なにせ綱吉くんは僕の初恋の人の息子さんですからね」
「はぁ!?」
「あぁ……うっかり言ってしまいました」

片目を瞑ってみた骸の清々とした表情にくらりと目眩を覚えて、ヒバリさんに掴まった。

「まぁなにはともあれおめでとうございます」

幼馴染みとして祝福しますよ。雲雀くんはせいぜい振られないように努力なさい。
いけしゃあしゃあと言い放った骸の言葉に立ち上がったヒバリさんが得物を取出し、それを見た骸が楽しそうに口の端をあげたのを見て、オレはとりあえずその場から和菓子を抱えて戦略的撤退したい気持ちでいっぱいになった。


付き合う事になったといってもいきなりは変わらない。
でもこれまでの二〇年間の付き合いがあるし、仲良し三人のスタンスは守りたい。
だからゆっくり今までと同じくらいの時間をかけて新しい関係を築いていって、死ぬまで一緒に過ごせたらいいなと思っている。
口には出さないけどきっとヒバリさんもそう思ってくれているはずだ。……といいな。
そんな事を平和ぼけした頭で考えながら、いよいよまずい空気を漂わせて向き合う二人からそろりと離れた。
ぎろりと二組の瞳に睨まれたオレは、へらりと微笑んで脱兎のごとくその場から撤退したのだった。

色々と裏設定を考えているので、何かの機会にこの3人組はまた書きたいです
(2011/03/05)