沢田くんと六道くんがギャルソンになって潜入するお話 3


「あぁー! ソファがぁ!!」

余韻もくそもなく綱吉から絶望的な響きを持った叫びが上がる。バケツと雑巾を手にした綱吉が茫然自失状態でぼんやりとソファの惨劇を見下ろした。 
不幸中の幸いというか、汚れた服は仕事着だったため出社して来た時に着用していた私服に着替えて――さすがに下着の替えまでは持っていなかったので濡れて気持悪い下着はとっくに脱ぎ捨ててしまっているため、現在の綱吉は下着を着用していない状態だったりする訳だが――事なきを得た。
こういう事態にいつか持ち込むつもりだったのか骸は何故か替えの下着までぬかりなく用意しており、一人清々しい表情でカウンター席に座って売り物のスパークリングウォーターを飲んでいる。
一人で片付けをしている綱吉はそんな骸をジト目で睨んだ。

「オマエが元凶なんだから少しは手伝えよ」
「嫌ですよ。それに僕は汚れとか見られても別にちっとも恥ずかしくなんてありませんし」

何食わぬ顔でしれっと言い返す骸には何を言っても無駄だと悟っている綱吉は首を微かに振ると惨状と向き合う。その状態にうっ、と顔が引き攣る
(そりゃ日本のラブホテルがホモカップルお断りとか言い出すのも分かる気がする……いや、別にラブホテルなんて使った事ないけどさ!!)
誰に言うでもない言い訳を胸中で慌ててしながら、綱吉は覚悟を決めて白い汚れがついているソファを固く絞った雑巾で一心不乱に拭き始めた。
きゅっきゅっ
合皮のソファは音を立てて磨かれる。皮でなく合皮だったのがせめてもの救いだな、と綱吉はほっとため息をつきながら若干痛む腰をぽんぽんと叩きながら中腰で濡れ拭きに精を出す。
そして、そんな綱吉の後ろ姿を水の入ったグラス片手に骸はうっとりと見つめていた。

「なんか新婚さんみたいですねぇ」
「……頭沸いてるのか?」

伏せる事なく堂々と口に出した骸の戯言は綱吉のきつい一言で一刀両断される。気持悪い、というオマケまでついてきた。

「綱吉くんってダメツナとか言われてた割に雑巾絞るのとかよく分からない事が凄い得意だったりしますよね」
「まぁ……母さんの手伝いしてた時に雑巾の絞り方は嫌って程教えられたし」
「やはり奈々さんは偉大ですね。うん……君は今すぐにでも良い奥さんになれますね」

骸の電波極まりない発言をどうしたものかと考えている途中で面倒くさくなった綱吉は黙殺の方向で心を固める。
無視を決め込んだ綱吉はせっせと手を動かす。これが終わったら途中で放置したままの床拭きも待っているんだ、と自分に言い聞かせながら背後の視線を見て見ぬ振りをする。

「ヤる事やりましたし、僕は一足お先に帰らせていただきます」
「あーはいはい、どうぞ。本当にオマエ最悪だな」
「男なんて所詮即物的な生き物ですよ」
「あのお、オレも男なんですけど……」
「さっきまで見てたんですからそんな事知ってますよ」

なんともストレートな骸の言葉に綱吉は言葉をなくし呆れた視線を返す。冷たい視線を受けクフフっと嬉しそうに笑う骸に綱吉は戦慄する。
一応いわゆる「お付き合い」をしている世間一般的に言う所の恋人という存在のはずの骸の事が未だに綱吉は掴み着れていない。そしてあまりにも分らなさすぎて、有り体に言えば恐ろしく感じる事すらある。

「うん……とりあえずオマエのいいたい事はなんとなく分ったから、大人しく帰ってください」

もうこれ以上オレにダメージ与えないで。
綱吉は言外にそんな願いを含めながら骸を微妙な表情で見返した。すっかりご機嫌らしい骸は頷きながら、微笑む。

「君の汚してしまった洋服は洗って置いてあげますね、僕の可愛い奥様」
「死ね! 本当に一度死ね!!」

遂に我慢が限界に達した綱吉は、暴言を吐きながら手に持っていた雑巾を骸に向かって力一杯投げつけた。
無駄を一切省いた、いっそ優雅とも言える動きで骸はそれを難なく避ける。雑巾は掠りもせず骸の脇を飛んでいき、べちゃっと壁にぶつかって床に落ちた。
畜生、と綱吉は呟きながら手元にあるバケツを投げても良い物かしばし思案して、大人しく諦めた。
何事も諦めが肝心なのだ。特に常識が通じない人と良い関係を保つためには。
綱吉の口からため息が零れ落ちた。

***

翌日、と言っても明け方まで仕事をして、片付けをして、色々していたので借宿に帰ったのも出勤したのも同日ではあるのだが、事態は急変した。
高校を卒業して間を置かずイタリアへ誘拐となんら変わりない状態で連れ去られ、そのままマフィアのボスになるための勉強漬けの日々を送った綱吉にはバイト経験が皆無だった。ほぼ初めてのアルバイトで、持って生まれた童顔と人好きする笑顔のおかげか、意外と自分は接客業に向いているんじゃないかなと思いそもそも何故こんな事態になったのかを忘れるくらいにはこのお仕事を楽しんでいた。
敵だ味方だ、裏切りだなんだと物騒な現在の職場なんかより全然楽しいと思うのも無理はない。人の命に関係ないお仕事万歳、と両手をふるって叫びたいくらいに綱吉は思っていたし、これこそが天職なんじゃなかろうか、オレボス業廃業する、ともし本当に口に出したなら元家庭教師の先生に殴られ、右腕に本気で号泣されそうな事さえ考えていた。
しかし世の中はそう甘いものではなかった。
目の前の状況を見て綱吉は周囲に気付かれないようにため息をつく。
(なんでこの国はこうも物騒なんだよ!)
帰りたいなぁ、などと思う反面、これを片付けなければ帰れない事は重々承知していた。
事の始まりは簡単だった。
単純な客同士のいざこざ。
どこの国にもチンピラみたいな輩はいるものでそんな雰囲気の悪い二人組が落ち着いた雰囲気のこの店にやってきて我が物顔でどかりと座り、テーブルを占拠した。店内には一気に嫌な空気が流れる。
心配気な店主に目配せして綱吉は何食わぬ顔でオーダーを取り、裏に居る骸に渡すと

「大丈夫ですか? なんなら僕が出ますけど」

店内の異変に気付いた骸が珍しく気遣わしげな表情で申し出た。それを綱吉はそっと辞する。骸の心配をしてではなく、あんな奴らに骸を対峙させたら骸が嫌味の一つや二つを放って瞬時に戦闘態勢に入ってしまうだろうと予想したからだ。
しかし、そんな綱吉の心配も杞憂に終わった。勿論、悪い方向で、だ。
戻った店内に漂う嫌な雰囲気。
ニヤニヤと笑うチンピラ共と、床に座り込んで泣きじゃくる若い女性とその前で険しい顔をしている若い男性。
現場を見ていなくてもだいたいのストーリーを思い描ける、絵に描いた様な状況だ。これは安物の映画か、と綱吉は突っ込みを入れたくなった。
思わずぼんやりとその様子を見ていた綱吉の脇を店主が飛び出していった。

「お客様困ります」

チンピラ達の前に立ちそう言った瞬間、店主の身体が後ろに吹っ飛んだ。綱吉は慌てて店主に駆け寄りその身体を抱き起こした。
店主を蹴り飛ばした男が、にやついた表情を更に下卑た表情に変え綱吉と店主を見下ろす。男はペッと綱吉が一生懸命掃除した床に唾を吐き出した。

「なんでオレたちが一方的に悪者扱いされるんだよ!?」

頭の弱そうな、ありきたりな三流な悪者のセリフが店内に響く。

「オレたちボンゴレなんだから逆らったらどうなっても知らないからな!」

ボンゴレ、の一言に綱吉の眉がぴくりと動いた。

「こんな店の一つや二つ潰すの簡単なんだぜ!」

期待はしていなかったがどこまでも小物な発言に綱吉はいっそ安心する。こんなのはうちにはいない、と。

「ボンゴレ、だと……!? じゃあオマエは……」

店内の別の場所から突如声があがった。声をあげた人物の正面に座っていた身なりの整った男がガタンとスーツケースを片手に立ち上がる。
予想外の出来事に綱吉も店主も泣いている女性とその恋人らしき男性も、そしてチンピラ達もそちらに視線をやり、事態の急変っぷりにあんぐりと口を開けた。

「オマエたち、大人しく手を挙げろ!!」

立ち上がった男の手には黒光りする拳銃が握られていた。
その様に店内は一瞬にしてパニックに陥る。
騒ぎ出した客たちを威嚇するように最初に声を上げた男性に向かって拳銃が一発発砲された。至近距離からの発砲にその男の身体が後ろに倒れ込んだ。途端に水を打ったように店内は静まりかえる。

「これは本物だ! 動くな!!」

そして男はぐるりと店内を見渡すと視線を綱吉に固定した。幼い顔をした華奢な東洋人男性。泣き騒ぐ女性よりはマシだと判断したのか、事実上この店内において二番目に人質に相応しくない人間にこちらに来るようにと命令をする。銃口は真っ直ぐ綱吉の方を向いている。
(ボンゴレ名乗るならせめてボスの顔くらい覚えてて欲しいなぁ、なんてね……)
いくつもの修羅場を乗り越えてきている綱吉は男の不運さに若干の同情心を抱いた。予想外に落ち着き払った様子で自分に近づいてくる東洋人に怯えたのか、男に動揺が走り銃口がわずかに綱吉から逸れる。綱吉はそれを見逃さなかった。

「骸っ!」

そう叫ぶと一気に跳躍し拳銃を持った男の脇腹を遠慮なく蹴り飛ばす。腰に巻き付けたエプロンが邪魔だがこの際仕方がない。加減が出来ず肋の数本が折れる位は許してくれ、と思う。

「言われなくても」

床を滑るように飛んでいった拳銃の軌跡の先で待ち構えていた骸がそれを拾い上げ、男に照準を合わせる。

「綱吉くん、それ」

骸に言われるまでもなく綱吉は倒れ込んだ男の近くに転がっているスーツケースを骸の方へと蹴り飛ばす。蹴った衝撃でそれはぱかりと開き、中身を辺りにまき散らした。

「白い粉、ですねぇ」

一つを摘み上げた骸は表情一つ変えずに言う。

「おやおや、おかしいですね。確かボンゴレは麻薬の類を一切禁じてるはずなんですけどね」

のんびりと、いっそ優雅に言葉を紡ぐ骸を余所に綱吉は最初に銃弾を受けピクリともしない男に近寄り傷口を確認し、擦る程度の軽傷である事を確認し、ホッと息をついた。
状況から麻薬の取引をしていた相手、つまり普通の一般人ではないと判断出来るがそれでも目の前で人が死ぬのは耐えきれない。偽善だと言われようとなんだろうと綱吉はそう思っている。拳銃片手に優雅に微笑む男には「だから君は甘いんだ」とよく罵られるがそんなの綱吉の知ったことではない。
綱吉の気が緩んだのを察知したのか、火事場のなんたらなのか、蹴り飛ばされた男が一瞬の隙をついて片膝をついた綱吉に飛びかかる。最初から拳銃を二丁準備していたのかその手には銃が握られていて、そのグリップ部分で頭を思いっきり殴られる。くらり、と一瞬気が遠くなり打ち所が悪かったのかツーッと血が一筋綱吉の頬に垂れていく。
あ、まずい。
綱吉がそう思った次の瞬間、店内に発砲音が響いた。
その数秒後、ぺたんと綱吉の横に呆然とした様子の男が座りこんだ。その頬には一筋の血が流れている。

「その人を傷つけないでいただけますか?」

壮絶なまでに綺麗な笑顔を浮かべ骸が言う。その手には銃がしっかりと握られ、照準は座りこむ男の額にぴたりと合っている。

「君を撃ち抜くなんて本当に造作もない事なんですけど、彼が無駄な殺生を嫌がるんでそれで勘弁しておいてあげますよ。彼に感謝する事ですね。……慈悲深いドン・ボンゴレに」

骸の低く深みのある声が響いたあと、誰一人として音を立てる人間はいなかった。

***

「以上です」

一連の綱吉の潜入捜査の事後処理を一任されていた骸が淡々と報告書を読み上げ言葉を締める。
結局リボーンの言う所の“おいた”は、「ボンゴレを名乗ってでかい顔をして好き勝手しているチンピラがいる」という至って簡単で単純な軽いものと「ボンゴレの名前を語って麻薬を売りさばいている男がいる」という若干許し難いものとが混在していた。
運が良いのか悪いのか綱吉は一気にその両方を引き当て、若干負傷してしまったもののその両方に方を付けた。
軽い方には充分お灸を添えて、マフィアらしく若干の恐怖を植え付け、もう二度とやらないと誓わせた。その上で本人たちが更生したいと願うならボンゴレはいつでも受け入れるからと伝えた。……マフィアに属する事が更生に当たるのかどうかを綱吉は知らない。
もう一つの方は、ボンゴレの領土内での看過できない出来事としてそれなりのケジメをつけさせた。あまり考えたくないのでそこは淡々とルールに則って事務的に処理をした。仕方ない事だ、と思えてしまう位に綱吉はマフィアのボスになってしまっていた。

「で、綱吉くん」

報告を終え、書類を綱吉に手渡した骸がにっこりと笑う。

「僕、今回は結構頑張ったと思うんですよね」

嫌な予感が綱吉の脳裏を掠める。

「ご褒美ください」
「先払いした」
「分割した一回分くらいしか貰ってません」

いけしゃあしゃあと骸が言う。

「あぁ、そう言えば聞きましたか? あの店主、元々ボンゴレの人間だったらしいですね。だから最初から僕たちの存在を知っていたとか」
「九代目の旧知の人で、リボーンの古い知り合いだったらしいね」
「彼が聞いてきたそうですよ」

ニヤリ。
そう表現するに相応しい笑顔を骸は浮かべる。

「十代目と霧の守護者は出来てるのかって。君の先生に」
「うわああああああ!最悪だ!」

オマエのせいだ、最悪だ、噂広がったら生きていけない!!
叫ぶ綱吉を骸は面白そうに見やる。

「大丈夫です。そうなったら責任とってお嫁さんに貰ってあげますから」
「全然大丈夫じゃないから!!」

綱吉の絶叫が執務室内に響いた。

結局ギャルソンエプロンつけた六道さんと沢田さんが見たかっただけ、っていうお話でした。
(2011/02/12)