溺れる魚


ドンドンっ

真夜中と言ってもなんら問題のない、日付が変わって数時間経った頃。
骸の部屋のドアがノックされた。
遠慮の欠片もないその音に眠りの浅い骸は目を覚まし、ベッドの中で眉を顰めた。
扉1枚挟んで向こう側に居る人物の気配に、それが誰かをすぐに悟る。
そもそもノックされるまで気付かれず、骸のテリトリー範囲内に入って来れる人物は限られている。

ドンドンドンドンっ

音は止まないばかりか、いっそう激しさを増す。
無視する事を諦めた骸は嘆息すると、のそりと身体を起こし裸足のまま床に足をつきドアの前まで足を運んだ。
ぴたり、とドアの前で止まる。

「迷惑です」
「あけて」
「常識外れの時間ですよ」
「あけて」
「天下のドン・ボンゴレが一人で何ふらついているんですか?」
「あけて」
「そもそも君が一人でこんな時間にうろつくのは感心しません」
「あけて」

骸が何を言ってもドアの向こうの人物は機械仕掛けの様に同じ言葉を繰り返し続ける。
その声が若干揺れている事に気付き、骸は柳眉を顰めた。
扉の向こうの空気を探る。
そして、ついに観念した。

がちゃり

扉を開くと廊下にはスーツ姿のままで綱吉がぽつんと佇んでいた。
声もなく豪快に涙を流している綱吉の姿を認めると、骸は「はぁ」とため息をつき長い腕を頭に回し自分へと引き寄せくるりと回りながら後ろ手で扉を閉める。
そのまま背中を扉にあずけ、もう一度ため息をついた。
胸元に顔を埋めた綱吉の髪の毛をぼんやりと見下ろす。

「オレってどこまで無力なんだろう……」

ぼそりと骸に話しかけるでもなく、独り言のように声が漏れる。
細い肩が細かく揺れる。

「もうやだ。本当にやだ」
「嫌なんですか?」
「嫌だ。」

顔を上げることなく綱吉が呟き続ける。
寝間着1枚しか隔てていないため、胸元が綱吉の涙でしっとりとしてくる。
あの茶色い瞳が水分を溜めて潤っている所を思い浮かべた骸は、触ったら弾けそうだなと考えた自分の思考が面白くて少し笑った。
その振動が伝わったのか綱吉が顔を上げた。
拭うこともなく流し続けた涙のせいで赤くなっている瞳は骸の想像通り水分をたっぷりと含んでいて「あぁ舐めてみたい」と思う。
決して口には出さない欲を骸は抑えつけた。

「もう、いやだ。……逃げたい」
「じゃあ逃げちゃえばいいじゃないですか」
「そしたらオマエは付き合って逃げてくれる?」
「どこまでもお付き合いしますよ」

即答した骸に綱吉は目を見開く。
骸がその瞳を覗き混んだため、極めて至近距離から二人は見つめ合う。
先に瞳を逸らしたのは綱吉だった。

「……ありがとう」
「落ち着きましたか?」
「……うん」
「何があったのですか?」
「オレの采配ミスのせいで、人が、死んだ」

どこまでも苦しそうに吐き出された言葉に骸はイラッとする。
綱吉が自分以外の誰かに心を奪われている。
それが骸には面白くなかった。

「ドン・ボンゴレのために死ねたならその人も本望でしょう」
「そんなはずない!誰も人のために死にたい人なんていないだろ!?」
「僕は……僕は死にたいですよ」

しん、と二人の間の空気が凍る。
綱吉の瞳の奥に冷たい色が混ざり、その事に骸はぞくりと興奮を覚える。
骸は、綱吉の甘ったるい瞳よりも蔑む瞳の方が好きだった。
滅多に人に向けられないそれを向けられた時、骸の心臓は歓喜に沸く。
人と同じ、誰とも平等、他の守護者と同等。
そう思われるくらいならば嫌悪でもいいから人と違う感情を向けられたかった。
向けられたいと願っていた、いつでもいつも。

「死にたいとか言うな」
「ですが、それが僕の本音です」

強い瞳が骸を見上げる。
嫌悪すら浮かぶその瞳と躯は別物かの様に、綱吉は骸の身体にぴたりと抱きつく。
心臓音を感じようとする様なその姿に骸は嗤う。

「僕は、君のために死にたい」
「オレは、オレのために人が死ぬなんてまっぴらごめんだ」

どこまでも真っ直ぐな純粋な瞳が骸の穢れた瞳を射貫く。
その瞳がもう水分を孕んでいない事を骸は残念に思う。
そしてもう視線はいらないとばかりに再度綱吉の小さな頭を抱きかかえ、自分の胸元に押しつけた。

「君は生きるべき、選ばれた人間なんです」
「……」
「君の命を前にすれば、他の人間の命なんて価値はないに等しいんです」
「……」
「君は誰の命を犠牲にしてでも生きるべきだ。……その貰った命の分、責任を持って」

再度震えた肩を見ながら、骸は抱きしめる手を強める。

「それが君の、ドン・ボンゴレとしての責任です」
「……」
「最後の最後まであがきなさい。それでもどうしてもダメになったら僕の元に逃げていらっしゃい」
「……」
「地獄の果てまででも一緒に逃げて差し上げますよ」

「君の最後を見届けるのは僕であるべきだ」と呟きながら骸は綱吉の髪の毛に唇を寄せた。
綱吉は微動だ一つせずそれを受け入れる。
骸が口を閉ざすと静寂が部屋を支配し、二人の心音と時計が時を刻む音だけが大きく響く。
そのまま数分が経過した時、そろりと骸の胸元を押し返しながら綱吉が預けていた身体を起こした。
骸も逆らうことなく手を緩める。

「……帰る」
「お気をつけて」

何事もなかったように言葉を交わし、骸が身体をそろりと移動させ扉をあけると綱吉はそこから廊下へと出て行く。
数歩あゆんだところでピタリと足を止める。

「ありがとう」
「いえいえ。また何かありましたら、夜這いでもなんでもしてください」
「うん」

常ならば突っ込みをいれるはずの骸の発言にも素直に頷くと振り向きもせず綱吉は行ってしまった。
その小さな、マフィアのボスとは思えないほど華奢で小さな後ろ姿を骸はいつまでも見送る。

「攫えたら、いいんですけどね」

ぽつりと呟き、扉を閉ざした。

(2010/12/19)
骸の前でだけ本音を出せるツナを書きたかったのですが……