1人での孤独な匣兵器を扱うための特訓を終えて、食堂へ向かう途中少し離れた前方を歩く山本の後姿が目に入った。

「山も」

オレが山本の名前を呼び終える前に、オレの口は大きな手で、塞がれた。
一瞬の出来事だった。

暗黙情事


オレの貧弱な身体は大きな手とがっしりした腕に、使われていない部屋へと引きずり込まれた。
部屋は真っ暗で、明るい廊下から一転の暗闇にオレの瞳は全く役に立たない。
オレを引きずり込んだ犯人は、オレの口を大きな手で塞いだまま、背後からオレを抱きしめるような体勢で微動だにしない。
規則正しい呼吸音だけが、静かな暗闇の中でオレの耳に響く。

「…誰?」

オレの超直感が危害を加えるモノではない、つまり少なくとも敵ではないと告げるのでオレは比較的落ち着いていた。
…背後の人物の纏う空気に、覚えがあったからかもしれない。

「……綱吉くん」

オレの知っている、記憶にあるものよりも少し低い声。
オレの知っている体格よりもひと回り大きく感じる、背中にあたる胸板と腕。
オレの知っている、空気。
脳裏にこちらに来てまだ会っていない1人の人物が色濃く浮かぶ。

「む、くろ…?」

オレの呼びかけに、背後の空気が僅かに揺れる。

「綱吉くん」

もう一度やたらと良い声で名前を呼ばれる。
少し低くなってはいるがそれは記憶にある声と音質は同じだ。

「綱吉くん、綱吉くん、綱吉くん」
「…何だよ、骸なんだろ?」

何度も名前を連呼されて、動揺する。
意味もなく顔が火照るのを感じる。
…暗くてよかった、とどこか遠い所で思った。

「オマエ、今どこで何してるんだよ?心配したんだぞ」
「お久しぶりです、綱吉くん」
「クロームだって心配してるんだから、無事なら皆に会いに来いよ」
「またお会いできて嬉しいです」

10年前と変わらず、骸相手だと意思疎通が上手く出来ない事に溜息が出た。
それと同時に10年変わらない骸に安心した。

「せっかくだから夕飯食べていけよ」
「…それは出来ません」
「…なんで?」
「僕は本来なら、ここに居てはいけない存在ですからね」

オレの身体に回された腕にギュッと力がこもる。
煩い音がする、と思ったらオレの心臓だった。
心臓が激しい運動をした時と同じくらい早く脈を打っている。

「でも、骸はココに居る」
「えぇ。どうしても君に会いたくて我慢が出来なくなったもので」

背後の骸が優しい声音で囁く内容は睦言で。
どうして?なんで?という疑問しか浮かばない。

「あぁ…そういえば、10年前はまだ僕も若かったですからね」
「…何言ってるのか分からないよ」
「そうですね。全てが終わって君の時代の僕に会えば分かると思いますよ」

クフフと上機嫌に笑う骸に疑問しか浮かばない。
オレと骸の関係は、元敵同士の10代目候補とその霧の守護者であってそれ以上でも以下でもない。
…はずだ。

「ツンデレなんて流行らないと10年前の僕にお伝えください」
「…何言ってるのか全然分からないよ」

オレはバカの一つ覚えのように同じ言葉を繰り返した。
骸の大きな手がふわっと動いたかと思うとオレの癖毛を優しく撫でた。

「困りました」
「何が?」
「君には久しく触れていないのでちょっとたかが外れてしまいそうですよ」

やっぱり骸の言っている意味が全く分からない。
でもずっと気になっている事があったからそれを口にする。

「なんでずっと後ろにいるの?」
「君の顔を見たら、きっと何もかもを投げ捨ててこの場から君を攫ってしまいたくなるから、ですよ」
「…何言ってるのか分からないよ」
「それで結構ですよ」

骸はそういうとオレの癖毛に顔を埋めた。
骸の呼吸をする音がやけに耳につく。

「な、に…?」
「しばしこのままでいさせてください」

そう言ったあと、骸はしばらく口を開かなかった。
長いのか短いのか分からない。時間感覚が麻痺している。
徐々に目が慣れてきた暗闇の中でぼんやり骸の革の手袋をした手が見える。
その指に霧のリングは、ない。

「僕に、戦える強さを分けてください」
「骸は、十分強い、だろ」
「君を守れなくてすみませんでした。…君こそは、守ってみせます」
「…骸?」
「必ず」

そういうと骸はオレの左手を掴むと、引き寄せて左の薬指に口付けた。

「骸!?」
「また、いずれ」

パッとオレを拘束していた腕が消える。
慌てて振り向いたオレの目には、がらんと広がる部屋しか映らなかった。
オレの心臓は風穴を空けたように、虚しい寂しさでいっぱいになった。

(2009.07.18)
雰囲気小説、と言い張る。骸が出てこない寂しさを埋めようとして、余計に寂しくなりました…